◇事務所理念

 

【家督相続制という伝統の知恵】~バークの示唆した「時効」という概念~

 

 

家督相続制が採られていた戦前までは、家の家督や祭祀権は新戸主となる長男がすべてを継ぎ、被相続人による生前指定や遺言による指定がある場合、あるいは、長男以外に新戸主となる者を親族会が指定した場合を除けば、二男以下には親の財産を相続する権利は与えられませんでした。

 

 

この「家督相続制」により、長男は、親の財産をすべて引き継ぐ権利を得ることの引き換えとして(戸主の隠居により家督相続した場合は)親の療養看護に努め、また、祭祀主宰者の責務として先祖代々の墓を守っていくという重責を負う。

 

 

二男以下は親の財産を相続できないという不条理を引き受けることとの引き換えとして、自由に大都会へ出て、自由に職業を選び、自由に結婚し、そして自由に立身出世を夢見る。

 

 

こうして、同じ血肉を分けた兄弟でありながら、生まれた先後で処遇が異なるという理不尽を、この家督相続制という「歴史の英知」は自己の相続分をめぐっての兄弟間の争いへと拡大させることなく上手く中庸していました。

 

 

共同体(地縁や血縁で繋がった有機的な感情共有体)の最小単位としての「家」はこうして連綿と継承されてきたのです。

 

 

ところが、戦後改革の一環として昭和22年に明治憲法が改正され、それを受けて翌23年に新民法が施行されると、それに引きずられるようにして「家制度」も「封建的である」あるいは「民主的でない」という理由で改革され、家督相続制が廃止されました。

 

戸籍法もこれまでの「家」を単位とした大家族制から、「一の夫婦及びこれと氏を同じくする子(第6条)」を単位とする核家族制へと変更されます(戦後の個人主義はここから始まったと推察されます)。

 

 

そして、「兄弟姉妹が数人ある時は、各自の相続分は相等しいものとする」と新民法で規定(900条4項)されてからというもの、長男は家を継ぐことの利点を失い、二男三男のみならず、やがて長男までが家や故郷を離れていくようになりそのことがもたらす「地方の過疎化」や「地域高齢化」、「農家の後継者不足」、「墓の荒廃」といった様々な現象が今大きな社会問題となって私たちの眼前に横たわっているのです。

 

 

またあるいは「相続は争族」などと言われるような、自己の相続分を巡っての「兄弟骨肉相食む争い」を惹起させもしました。

 

 

確かに、戦前の「家制度(戸主制度)」には、「戸主の絶対的な権力が、他の家族の自由や権利を抑え込む」といった脈絡があることは否めませんが、エドマンド・バーク(英 1729~1797)も言うように、「長きにわたって持続してきた慣習には、たかだか一握りの現代世代の理性などには到底及びもつかない≪時効の完成した伝統の知恵≫が内蔵されている」のです。

 

 

 

【文化とはその国固有の癖である】~福田恆存~

 

 

むろん、やみくもに古い制度を守ろうとするのは単なる守旧であり墨守でしょうから、時代の変化に応じて社会の仕組みを改革することは必要だとは思います。

 

 

しかし、「産湯と一緒に赤子を流す」という言葉があるように、少々の不都合があるというだけでその制度の「良質部」までをも産湯とともに流し去ってしまっては本末転倒というものでしょう。

 

 

かつて、どこかの国の総理大臣や「壊し屋」と呼ばれた大物政治家が、「聖域なき構造改革」とか「抜本的改革」などと言って世間を賑わせていましたが、余り感心できる言葉遣いではありません。システム(制度)の一部を変更するというならまだ了解できますが、「構造改革」とか「抜本的改革」とは、その国の骨組み(structure)や根本(fundamental)まで変えてしまおうとすることです。

 

 

保守思想の始祖と言われたエドマンド・バークは、伝統という歴史の英知を等閑視し、「合理的ではない」という、ただその一点を理由として、何百年と続いてきた世の中の仕組みを根っこから変えてしまうような蛮行(ヨーロッパ啓蒙思想に基づく理性万能主義の産物としてのフランス革命のこと)を、「元手もなしに商売に乗り出すようなもの」と言って厳しく批判しました。

 

 

また、バークの正統な後継者マイケル・オークショット(英 1901~1990)も、「変化がもたらす損失と利益については、前者が確実であろうものに対し、後者はその可能性があるに過ぎない」といい、賢くなりすぎた現代人の理性だけに依拠して成される改革に対し、強く警鐘を打ち鳴らしました。

 

 

負けじと日本の福田恆存(1912~1994)も、「人の歩き方や話し方に様々な癖があるやうに、文化にもその国固有の癖がある」と言いました。

確かにその癖が致命的欠陥をはらむような悪癖であるなら是非とも直さなければならないでしょうが、それほど重大な悪癖ではなく、それを直すこととの引き換えに「日本らしさ(国柄)」が失われてしまうとするなら、いっその事、「その悪癖すらをも楽しんでみようじゃないか」と構えるぐらいの心の余裕が欲しいものです。

 

 

 

【温故知新の精神と漸進主義】~近代は超克できるか~

 

 

古い制度を擁護するからといって、なにも「すべてを昔に戻せ」などと強弁するつもりはありません。ただ、改革するにしても、歴史の厳しい試練に耐え、なお今日に生き残ってきた慣習の体系、そしてそこに内包されているであろう「伝統の知恵」を参照して改革しようじゃないか、と言いたいだけなのです。

 

 

私たち現代世代など、この国の長い歴史から見ればほんの一握りの世代に過ぎません。この国の長い歴史が、あるいは、過去における無数の死者たちが、現代のわれわれに伝え残せし「伝統の知恵」。

 

 

それだけが認識と実践におけるもっとも確かな判断基準となり得るものです。

 

 

むろん、時計の針を逆転させて歴史を後戻りすることはできませんし、近代を超克することもおそらく不可能でしょう。しかし、法律を改正するにせよ、制度をリフォームするにせよ、それらを急進的にやるのではなく、前述した故き良き歴史の英知と相談しながら、漸進的に変えていこうとする体質への改善は十分可能ではないでしょうか。

 

そうした歴史の英知に基づく「漸進主義(gradualism)」が、これからの地域社会、延いてはこれからの日本にとって重要となってくるように思われます。

 

 

温故知新(故きを温ね新しきを知る)の精神です。

 

 

【民事コンサルタントとしての行政書士の役割とは】

 

 

弁護士と違い、私ども行政書士は法律上の争訟(いわゆる裁判沙汰)となってしまった民事事件や家事事件に代理人として関与することはできません。

 

 

しかし、相続手続きや後見契約手続きを総合的にプロデュースする「民事コンサルタント」として、紛争に至らしめないための事前策(例えば、争訟に発展する前の段階で当事者双方に妥協案を書面で提示し、合意を得られれば協議書を作成するなどの)を提示することができます。

 

何も、紛争を解決するのは調停や審判だけではありません。

 

 

「和を以て尊しとす」

 

 

紛争解決には、お互いが歩み寄って解決するのが最も円満であり、最も日本的なやり方です。